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平山亨 訃報 佐々木剛さんとの関係など






7月31日、映画監督の平山亨さんが心不全のためお亡くなりになりました。

没年84歳でした。


関連して、佐々木剛さんとの関係なども紹介します。

まず、平山亨さんといえば、

東映の元社員で、助監督(映画)、映画監督であり、
当時の東映テレビ事業本部長である渡邊亮徳さんの指揮下で、プロデューサーを勤めていた人物でもあります。

作詞家としては「田中守」というペンネームで活動したこともありました。

人物像としてはこんな感じですね。


≪↓↓↓以下Wikipediaより引用↓↓↓≫

スターシステムで知られる東映時代劇のノウハウを、『仮面ライダー』など新しいキャラクターを生み出すに当たって「カタ型の美」を取り入れようとした本社テレビ部事業部長・渡邊亮徳によって、京都で時代劇にかかわってきた平山は、東映本社テレビ事業部に配属される。以後、単純明快な作風のヒーロー番組を多期に渡って輩出し、1970年代以降の東映特撮路線へとつなげていった。

平山の人物像として、藤岡弘、野田昌宏をはじめ、彼の「温厚さ、人柄の良さ」を挙げる関係者は多い。 ファンとの交流にも積極的で、同人誌への取材協力やイベントへの出席も数多い。

『仮面ライダー』第9・10話の撮影中の事故で主演の藤岡弘が重傷を負い、出演続行が不可能と判明した時には、緊急企画会議で毎日放送側やスタッフが「本郷猛の死亡案」に傾くなか、平山は頑なにこれに反対し、「子供たちのオールマイティーの夢を壊すわけにはいかない(議事録より)」としてこれを認めず、2号ライダー(一文字隼人)の起用と翌年の藤岡の番組復帰につなげ、ひいては仮面ライダー第一シリーズを4年近くに亘り継続させた。この措置が、仮面ライダーのシリーズ化につながり、後年に残るセールスを実現させている。

『がんばれ!!ロボコン』では、「ロボコンに100点を!」というファンレターが届きメインライターの上原正三も「たまには、100点でも良いのではないか?」と100点を取る脚本を提案したが「100点を出すと、視聴者が離れる」と思い、断り続けた。

特撮作品で組んだ山田稔とは親交が深く、自身の著書によると、実現はしなかったがプロデューサーを務めた『ペットントン』のパイロット監督を山田に依頼したり、亡くなる直前の山田の病床を見舞っていたという。

著書に、『仮面ライダー名人列伝』、『東映ヒーロー名人列伝』などがある。ここでは、かかわった作品ごとに、プロデューサー・監督・俳優・スーツアクターなど、多くのスタッフ・キャストに触れて、「名人である」と評している。

一戸建ての自宅が、『超人バロム・1』第22話の「平山眼科」など、よく作品中のロケに使われている。『仮面ライダーV3』第5・6話の遺影など、肖像写真が劇中で使われることもある。近年はボランティア活動にも深い関心を示しており、2007年には、不用品を収集して支援活動にあてるボランティアサークル「ゆうあい」の顧問に就任するなど、親と子が無理せず参加できる取り組みに着目している。

『仮面ライダーアマゾン』OPテーマ冒頭の「ア・マ・ゾーン!」の掛け声は平山の発想によるものである。2010年7月4日に科学技術館にて行われたトイフェスティバルの岡崎徹のトークショーで、飛び入り参加した平山自らが「密かな自慢」として披露した。

監督出身のプロデューサーでもあり、管理的な業務にとどまらず、八手三郎のペンネームほかで創作的な分野にも積極的である。 1984年、特撮雑誌「宇宙船」に、「私の愛したキャラクターたち」と題して、地獄大使や甲賀幻妖斎など自身が手がけた脇役達を主役とした小説を連載した。これを皮切りに、テレビで描ききれなかった設定を主に小説の形で多数執筆している。

≪↑↑↑以上Wikipediaより引用↑↑↑≫


作品創りに対して非常に強いこだわりを持っていることが見て取れますね。

もっともポピュラーなものは『仮面ライダー』シリーズだと思いますが、そんなこだわりの強さが滲み出ているような作風だと思います。

昨日で惜しくも亡くなってしまった平山亨さんですが、佐々木剛さんとの関係なども少し言及しておきましょう。

佐々木剛さんは、その『仮面ライダー』にも出演していた俳優ですね。

当時プロデューサーであった平山亨さんに、「藤岡弘が帰って来るまで」との約束を交わした上で『仮面ライダー』出演を承諾した佐々木剛さんですが、当時はそれ以外にも2本のドラマのレギュラーを務めていたため、『仮面ライダー』のために割ける時間は週に1日だけであったとか。

そのプレッシャーから一時期円形脱毛を発症し、それをカムフラージュするためカツラを被って殺陣に臨んだが、ジャンプ等でカツラがずれてしまうため、やがてカツラの上にヘルメットを被るようになったらしいですね(笑)

一文字隼人にヘルメットや帽子着用のシーンが多かったのはこれが理由でもあるとのこと。

まあ、今の時代の人はなかなか知らない人も多いんじゃないでしょうか。


そんなところで、

平山亨の訃報と、佐々木剛さんとの関係などをつらつらと書いてみました。

それでは。








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